話すことを自発的に学ぶ #シュタイナー乳幼児教育③

目次

「子どもの時代」の権利 第4号

『託児・保育の環境』~乳幼児教育の課題~

ラング/ピューラー共著  高橋明男訳

これは、ドイツに本部を置く国際ヴァルドルフ(シュタイナー)幼稚園連盟が発行しているシリーズ「<子ども時代>の権利」(編集:ペーター・ラング)の日本語版第4号です。

この冊子からの抜粋です。




「話すこと」の学習

最初の産声とともに、赤ん坊は「話すことの学習」に向けて準備を開始する。

この過程は世界中の乳児に共通している。

ここではまだ、様々な言語の違いは存在していない。

実際のところ言語の発達は、一般に、生後1年の終わり頃に始まる。

だいたい1歳半になると、子供は基本的な感情、欲求、体験などを初歩的な言葉で表現するようになる。

さらに、子どもは全体の関連を「一語文」の中に凝縮するようになる。

例えば、「ママ」という一語の中に、子供は母親が来て、自分を抱き上げ、慰めてほしいという願いを込める。

その後に「2語文」「3語文」が付け加わる。

人間の言語には、三つの側面を見ることができる。

①言語によって、私たちは自分の最奥の感性や感情を表現する。
②私たちは「ことばを持った存在」として、世界のあらゆる事物にふさわしい名前を与えることができる。
世界を概念(名前)で秩序づけ、そこに意味を見出すことができる。
③言語はコミュニケーションです。つまり、言語によって、私たちは他の人々と心理的・精神的に交流することができる。
(この最後の二つの側面から、言語がいかに思考と結びついているかは明らか)

幼い子どもは、「話すこと」を自発的に学んでいく。

そのために特殊な訓練は必要ない。

しかし、子どもたちが言語を学ぶのは、周囲にことばを話す人々がいる環境においてだけです。

子どもたちは、自分たちに聞こえてくる「話し方(ことば遣い)」を模倣する。
歌、詩、小さな物語に、子ども自身のからだの動き、大人との身体的に触れ合いが結ぶつくとき、
それは言語への歓びを呼び覚まし、育てるものとなる。

しかし、この喜びが生まれるためには、周囲の環境に「語り」があるだけでは不十分。

「語り」というのであれば、テレビやラジオも、一日中、何時間も語り続けている。

子どもにとっては、語っている人間との関係の質が決定的に重要。

ある母親は、息子に本を読んでやる代わりに、カセットレコーダーを与えようとしたとき、

子どもからこのように言われた。

「でも、カセットはボクをひざに乗せてくれないよ。」

言語は、とくに人間との直接的な関係性の中で、守られているという安心と信頼の雰囲気の中で培われていく。

近年ドイツでは4歳児の25%に何らかの言語発達障害が見られるという事実は、けたたましい警報のように鳴り響く。

運動を促すことは、ことばの発達を支える。

反対に、大人が子どもに「赤ちゃんことば」で話しかけるとき、それがことばの発達を支えないことは確実。

それでは子どもが模倣を通して学ぶことができないから。

かといって、大人が冷たく、子どもを見下すような態度で話しかけるなら、内面の関係性の糸が切れてしまう。

そこでは言語は、非人間的な抽象的な道具になってしまう。

大人が関心と愛情を持ち、きちんとした「話し方」で話しかけることで、子どもは母語の中へ導かれていく。

そこに方言の色合いが息づいていることは問題ない。

けれども、子どもが成長するにつれて、明瞭な共通語を身につけていくことにも意味がある。

「言語は、思考の乗り物である」ギリシャの哲学者プロティノス(205年ー270年)

子どもの語彙が豊かで多様なものになればなるほど、感じたり、表現する可能性が広がる。

この心理的・精神的な発達の可能性は子どもだけでなく、若者、大人にも開かれている。

自然に触れて遊ぶ体験は、言葉につながり、豊かな表現とつながる・・・。

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